shunbom’s blog

中村俊輔と中澤佑二のことだけ

現役引退

2022年10月18日発表

約5ヶ月ぶりにベンチ入り
ホームゲーム最終戦ということで

きっと現役ラストゲームだろうなと
思って前夜試合を見ていました

まさか栗原クラブシップキャプテンや
比嘉さんも観に来てたとは、、

 

各所属クラブの公式Twitter

中村俊輔選手コメント:

今シーズンをもち現役から退く決断をしました。

幼稚園のときにサッカーボールを蹴り始めてから、40年もの月日が経ちました。

はじめは、楽しいという思いだけで始めたサッカー。

そのサッカーが仕事となり、プロサッカー選手として26年間も過ごすことができました。

長いサッカー人生の中で、幾度となく苦悩や挫折がありましたが、いつも誰かが自分のことを支えてくれ、背中を押してくれました。

一緒に戦ってくれたチームメイト、指導をしてくださった監督・コーチ、ケガの治療やケアをしてくれたドクター・トレーナー、クラブに携わっていただいた方々、そして、いつも熱い応援をしてくださるファン・サポーター、全ての皆様に感謝申し上げます。

本当に多くの支えがあったからこそ、これまでサッカー選手として闘い続けることができました。

26年間多くのご声援、ご協力をいただき誠にありがとうございました。

中村 俊輔

「幾度となく苦悩や挫折がありましたが、
いつも誰かが自分のことを支えてくれ、
背中を押してくれました。」

ここ何度読んでも泣く

個人的な話ですが実は今だからこそ
思うことがありまして、、

俊さんにとっては2017年のマリノス退団も
相当な苦悩だったと思うんですよね

海外へ行った後もマリノスを気にしてて
日本に戻るならマリノス以外考えられないと
ずっと言っていて実際に復帰するほど
マリノスが大好きだったのに苦渋の決断

当時15年以上マリサポを続けていたので
悲しくて寂しくてたまらなかったのですが、
当時の俊さんも「懊悩煩悶の末」という
言葉もあったぐらいツラかったはず

そしてそれはきっと長いサッカー人生においての
挫折という壁の一つだったのではと思うのです

その壁を俊さんは越えて行った
大好きなマリノスを離れても
大好きなサッカーをするために

ジュニアユースからユースに上がれなくても
マリノスじゃなくてもサッカーはできるわけで

そして移籍先でちゃんと活躍した

わかりやすいタイトルはなくても、
少なくとも移籍先のクラブのサポーターは
俊さんにとても感謝しているように感じます

その壁を一緒に越えて行った人も
その壁の上から見続けていた人もいて
私自身はその壁の中にいて見ることすら
叶わなかった残念なファンですが

引退間際を察知して、もう壁の中に
いる場合じゃないと壁の上によじ登って
その姿を見ることはできたのかなとは思います

ぶっちゃけたこと言うと
壁の中にいても居心地は良くなくて苦笑
かといって一緒に壁を越えていくのも苦痛で

何もかもが嫌になって、、
すみません!逃げました

それでもあの頃の
トリコロールを纏って輝いていた頃の
俊さんが忘れられなくて

それは一生綺麗な思い出として残るので

その思い出とともにこれからは
生きていきたいなと思っています

 

マリノスが俊さん引退に公式ツイート
正直予想していなかったので驚きました…

他の選手の引退だと最終所属クラブの
引退告知ツイートに引用RTで
言葉を添えるのですが、、

まあそれはさておき自分が
このツイートを受けて送った言葉も
念の為添えておきます

 

サッカーとマリノスを好きになったキッカケの選手です。
華やかなプレーと努力家な一面が大好きでおかげで
たくさんの夢を見させてもらいました。

特に俊さんがトリコロールを纏って輝いてた
あの頃は永遠に忘れられない宝物です。

本当にお疲れさまでした。

 

公式動画ありがとうございます!

「世界中のどこへ居てもホームは横浜」と
本当にマリノスに帰ってきてくれた
あの7年間は特に誇らしく夢のようでした。

キャリアの半分を過ごしたマリノスだからこそ
見られる姿に感無量です。

今更ですが大変貴重な2002年シーズンDVDの
発売を未だに待ってます!ガチで!!笑

 

マリノスケは結構選手個人に対して
メッセージを送ることが多いので
俊さんについて触れてくれるか
正直ドキドキしてましたw

触れてくれて嬉しかったなー

マリノスケは2000年冬生まれなので
シュンスケのスケが名前の由来だと
勝手に思ってます(何度でも言う)

 

俊さん引退コメントを紹介してくれたキクマリ

マツさんやボンバーらと一緒に映る過去映像を
引っ張り出せるの古巣の強み活かし過ぎです 

毎週見てるけど他に移籍して引退した選手の
紹介なんてしたことあるのかな〜記憶にないです。。

 

ジュビロは2017年の成績が良かったようで
それは紛れもなく俊さん効果だったのかなと

 

セルティックがアップ始めてて草

本当にこのクラブは俊さん好きですねー!
いつもいつまでもレジェンド扱いしてくれる
こと自体に感謝しかないしそんな実績を作った
俊さんが改めてスゴいと思います

 

 

 

 

 

 

 

 

1面で伝えたスポニチの記事全文

 来季のJ1昇格を決めた横浜FCの元日本代表MF中村俊輔(44)が今季限りで現役を引退することが16日、分かった。日本代表やスコットランド・プレミアリーグセルティックなどで一時代を築き、J1でも横浜で史上初となる2度のMVPを獲得。左足の芸術的なFKは、世界的な名手としてその名をとどろかせた。近年は右足首の故障との闘いが続き、熟慮の末、プロ26年の現役生活に終止符を打つ決断を下した。

 ついにその時がやってきてしまった。記録にも記憶にも残る希代のレフティー、俊輔が今年限りで現役生活に別れを告げる。

 近年は黄金の左足を支えた軸足の右足首の故障に泣かされ、自身2度目のJ2で迎えたプロ26年目の今季は出場が激減。今年6月には千葉市内の病院で再び手術をした。患部がうむトラブルがありながら、足の指でタオルをつかむ動作を繰り返すなど必死にリハビリを続けた。ピッチでは貢献できなかったが、その姿勢は間違いなく、チームの支えとなった。

 語り尽くせないほどの栄光に満ちたキャリアだった。桐光学園(神奈川)で出場した全国高校サッカー選手権で脚光を浴び、97年に横浜M入り。22歳で史上最年少MVPに輝くなど、一気にスターへの階段を駆け上がった。セリエAのレジーナを経て加入したセルティックでは、数々のスーパープレーで多くのタイトルを獲得。06~07年シーズンの欧州CLでマンチェスターU相手に決めたFK2発は、今も語り草となっている。まさに直接FKは俊輔の代名詞。J1でも最多24本のFK弾を誇る。

人一倍愛した日本代表でも一時代を築き、全てをささげてきた。2度出場したW杯では、思い描いたプレーは見せられなかったが、アジア杯などタイトル獲得にも貢献。03年コンフェデ杯ではフランスのGKバルテズから芸術的なFK弾を決め、05年の同杯では最強ブラジル相手に強烈なミドル弾を叩き込むなど、世界に衝撃を与えた。数々の栄光の裏では、02年日韓W杯のメンバー落選、横浜時代の13年リーグV逸など挫折も多く経験したが、悔しさをバネに再び頂点に返り咲くその姿は誰をも魅了した。

 何がそこまで俊輔を突き動かすのか――。かつて引き際について「燃え尽きたい」と話していたが、決して燃え尽きることのないサッカーへの情熱。だが、右足首の状態は数年前から既に限界を超えていた。

 そんな大好きなサッカーから、引退後も離れることはない。既にB級コーチライセンスを取得済み。将来はベンチで采配を振る姿が期待される。天才レフティーの芸術的なプレーの数々は、永遠に人々の記憶に刻まれる。

 

この他恐ろしいほどの数の記事が作成されていますが
Yahoo!ニュースなんかはすぐ削除されてしまうので
とりあえずリンクしていきます