あまたの感動を生んだ希代のレフティーが、ピッチに別れを告げた。J2横浜FCの元日本代表MF中村俊輔(44)が、現役ラストの試合を終えた。リーグ最終節・アウェー熊本戦に先発。J1所属の昨年4月7日の広島戦以来、564日ぶりのスタメンとなった。60分までプレーし、両チームから万雷の拍手で送られた。第2の人生は、指導者としてスタートを切るファンタジスタ。涙ながらに、感謝の思いを口にした。

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目は真っ赤だった。あふれ出そうな滴をこぼさないよう、俊輔は言葉を発し続けた。「いいプレーしたいから、昨日、一昨日からルーティンじゃないけど、スパイク選びをね。何が一番いいか。足首がこうだから、湿布を貼りながらとか、そういうのが楽しい」。44歳の横顔は、まぎれもなくサッカー少年だった。ワクワクする試合前日。それは、もうかなわない。

ボロボロだった。今年6月は、右足首の手術を敢行。軸足の関節は限界を超えていた。「軟骨がないから、骨が当たるんだよ。痛いよ。コンドロイチンも効かないからね(笑い)。手術前は、動けなかった。4年前くらいから、注射をして痛みをごまかす感じ。痛み止めを飲んでやったりというのが毎日だから」。

引退は、昨秋から考えていた。妻に伝えると「何で勝手に決めるの」と制された。チーム関係者の「もう1年いけない?」という言葉もうれしかった。1年延期したが、足が言うことを聞かなかった。だから後半43分にチームが逆転した時も、ベンチから飛び出す仲間をよそに出遅れた。右足をアイシングしていた。「あそこまで迎えにいけない(笑い)」。引きずっていた。

26年のプロ生活に幕を閉じた。

俊輔 最初マリノスに入って、プロになれると思ってないじゃん。プロになれたら、マリノスに入ったらレギュラーで10番つけたいってなるでしょ。3年後にできるでしょ。その間に代表で10番つけて中心になりたい。で、次はW杯。でも、ビッグクラブとW杯で活躍するっていう、その2つは、かなえられなかったかな。

どこか、遠くを見つめていた。

天才、ファンタジスタ…。そんな愛称で呼ばれた男も、家族の支えなしに、ここまで来られなかったから。「俺がW杯、うまくいかなかったりしている時は(妻は)帯状疱疹(ほうしん)とか出ちゃって。しかも顔とかだと体調が悪くなったりするから。支えてくれたとか、そういうレベルじゃないから」。

家族がいつもいた。掛け値なしの友もいた。

俊輔 あんまり連絡取らないけど、ボンバー(中沢)とかさ。それは本当、一生残ると思います。リスペクト、尊敬できる人と戦友ができたことは、友達よりも僕の中ではいいと、比べるモノではないかもしれないけど。それは宝物なんで、サッカーは楽しいです。

大好きなサッカーは終わらない。ピッチを離れない。プレーヤーから指導者へ-。

俊輔 ゼロからだよ。サッカーと一緒。自分の感覚を捨てる必要がある。経験が邪魔することもあり、捨てなきゃいけないこともある。人と人だから信頼関係や人間性が戦術より勝るのを見てきた。

移動日の22日は羽田空港、到着の熊本空港に約30人のファンが出迎えてくれた。アウェーにもかかわらず、熊本のファンは「天才レフティー 中村俊輔選手! 沢山の感動をありがとう!」の横断幕を掲げた。横浜FCのファンは、チャントを歌い続けた。

熊本の空は、澄み切っていた。1つの時代の終わりと、新たな物語の始まりを告げるような、さわやかな風が駆け抜けた。